自由気ままに

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私がジャニヲタになるまで




まずコンサートの感想よりこっちを先に書くべきだった気がしなくもないけどね。タイトルからして間違ってる気がしてきた。気がついたらなっていた。なるまでも何もない。



そもそも私がジャニーズと出会ったのは本当に物心がつく前だ。もともとバレーボールが好きだった母はお腹の中にいる私にV6の曲を聴かせていたくらいだ。物心どころか産まれる前からジャニヲタへの道を進んでいた気がする。事実、家に残っているカセットテープにはV6やNEWSの文字が刻まれている。
私が覚えている範囲内で初めて好きになったジャニーズは三宅健で、恐らくまだ幼稚園に通っていた頃だと思う。その頃は健ちゃんは知っていたがジャニーズ事務所までは知らず、健ちゃんがジャニーズ事務所のV6というグループに所属しているという事を知ったのは実は中学生になってからだったりするが、伊藤家の食卓を真剣に見ていた記憶は存在しているし、きっとその頃からアイドルというものに惹かれていたんだと思う。

その後ジャニーズというものの存在を知って、ハマっていった原因は母の妹である叔母と、従姉妹の存在がとても大きい。私は三姉妹の長女で姉というものが存在しなかったため、従姉妹は歳が1つ上だったこともあり本物の姉のように接してくれた。姉が好きな物はやはり妹も興味を持つため、当時小学生になったばかりの私はまず従姉妹が好きだった「NEWSの増田くん」が気になって仕方がなかった。当時からシゲ担だった叔母はNEWSのCDをよく聴かせてくれたし、母と叔母の仲がとても良かったことも合わさり一緒に音楽番組を見ることもよくあった。
そんな中で私は運命の人と言っても過言でない、初めての自担に出会う。幸か不幸かそれはNEWSの山下君だった。まだ小学校低学年か、中学年くらいだったと思う。確実に言えるのはweeeekが発売される頃には、小学生ながらに友達とKAT-TUNの亀梨がいいかNEWSの山Pがいいかで言い争っていたくらいには山下君の事が、NEWSの事が好きだった。余談だが、この頃車の中で聴いていた桜援歌と関風ファイティング関ジャニ∞というグループの楽曲だという事を高校に入ってから知る事になる。

残りの小学校生活は、Hey!Say!JUMPのデビューを見届けたり、謎に嵐が流行り始め戸惑ったりしながら過ぎていった。
中でも一番印象に残っているのは生まれて初めてライブDVDを見た事だ。NEWSのpacificの東京ドーム公演、これが私の初めてのライブDVDだった。このライブは今見返しても心がときめく。私は王道アイドル系が好きだったため、特に愛のマタドールやshock me VS Devil or Angelは見れば見るほどハマって行き、さらにDIAMONDを見て、NEWSの事がそれまでよりずっとずっと大好きになった。
そして中学生になり、忘れる事のできない初ライブ参戦を迎える事になる。それは6人時代最後のライブとなった NEWS DOME PARTY LIVE!LIVE!LIVE!だった。風船の中から山Pが現れた瞬間私は、山下智久って実在したんだ、という謎の感覚に陥った。そんな謎の感動に浸っている暇もなく流れてくる音楽、光、歓声、興奮で、今考えてもその日は私の今までの人生の中で1位、2位を争うくらいの楽しさや幸せを感じたと思う。大袈裟に聞こえるかもしれないが、そう感じさせるだけの力が初参戦に、あのライブに込められていた。初参戦があのライブでよかった。今でも心からそう感じる。
その頃のNEWSの活動は活発とは言えないものだったが、他のグループの事をあまり知らない私にとってはあまり関係のない事だった。NEWSの事を知れば知るほど好きになっていく、ただただこの幸せが続けばいい、高校生になってアルバイトを始めたらもっとたくさんNEWSに、山Pに会いに行きたい。そんな思いでおよそ1年間を過ごしたと思う。

2011年10月7日。私はそれを朝の報道番組で知り、最初に出たのは何で?の一言だった。あんなに楽しそうにライブしてたのに?何で辞めちゃうの?もう6人のNEWSは見れないの?あのコンサートが最後だったの?
学校へ行ってもクラスのジャニーズ好きな女の子達はNEWSの話題で持ちきりだった。私のクラスにいた女子は関ジャニ∞ファン、KAT-TUNファン、嵐ファンなどはいたがNEWSファンはいなかったのと、小学生の頃友達との言い争いで痛い目を見ていたため私は自分がNEWSファンだという事を表に出していなかった。
自分が言っていなかった事が悪いし、友人達に特に悪気はなかったのだろうが、亮ちゃんが関ジャニに戻ってきてくれた、1年間活動がなかった時点でおかしかった、NEWSはもう終わりといった言葉がただただ胸に刺さる。自分の身体が自分のものじゃないような、身体と意識が別のところにあるようなふわふわした感覚で自宅へ帰った事は今でも忘れられない。当時の先生に提出する日記には、ただ簡素に山下君と錦戸君が辞めてしまって驚いています、とだけ記してあった。
あまり関係ないが、今回このブログを書くにあたってその日記帳を探したのだが、ちょくちょくNEWSの事を書いているあたり当時自分がいかにNEWSを好きで抑えきれていなかったか改めて知った。
帰宅して、パソコンを開いて、ここでやっと私は関ジャニ∞錦戸亮について知ろうとした。ネットの情報が全て正しいなんて事はないけれど、亮ちゃんがもともといたのは関ジャニ∞で、亮ちゃんがNEWSを辞めて関ジャニ∞を選ぶのは何の不思議もない、という事をそこでようやく理解した。奇しくもその時初めて亮ちゃんが置かれていた立場と、自分が無意識のうちに無理を強いていたという事を知った。そこでじゃあエイトでも頑張ってね、応援してるよ。とあっさり切り替えられるほど大人ではなかったが、亮ちゃんの脱退ということに対して納得することは出来たし、時間が経つにつれ関ジャニ∞を応援するようにもなってきた。
じゃあ山Pは。
考えないようにしていた。考えたくもなかった。まだ中学生の軽い頭ながら山PがNEWSを望んでいなかったことはどことなくわかってしまった。だから考えたくなかった。山Pのことを嫌いになりたくなかった。だからと言ってソロ活動をする山Pを今まで通り応援して、ファンでいることはとてもできなかったけれど。だって私が好きだったのはNEWSの山下智久だ。グループの中にいて、みんなと一緒にキラキラしている山Pが大好きだった。もちろんコンサートの中でのソロパフォーマンスはかっこよかったし好きだったが、あくまでグループがあってこそのソロ曲だと思っていた。抜ける理由がわからない。予想は出来たが気づかないふりをして毎日を過ごしていた。およそ1年間、シングルを出していなかったし目立った活動をしたわけでもなかったので私のファンとしての生活はあまり変化しなかったということもまた少し寂しかった。いつの間にか山Pから担降りして慶ちゃん担になっていたが、本当にいつの間にかとしか言いようがなくかなり特殊な形での担降りとなった。
ここからチャンカパーナの発売までの期間が私の中で1番ジャニーズから離れていた時期かもしれない。もともとNEWSは他のグループに比べて活動が活発な方ではなかったからCDを買わなくなったり、といったようなことではなく、NEWSのことを考える時間が減っていたという点が一番の変化だった。

2012年7月18日。いよいよチャンカパーナ発売。前日にフラゲしていた叔母がNEWSBestとともに発売日に貸してくれた。正直チャンカパーナって何だよって思ったし、それ以上にシゲのソロ曲のタイトルに衝撃を受けた。大丈夫かNEWS。でもそんな不安とか心配とかは曲が始まるとともに吹き飛んでしまった。溢れんばかりの圧倒的なエネルギーや力強さはまるでこれからのNEWSを物語っているかのようだった。PVも凝っていて可愛い。カップリングのフルスイングでは言うまでもなく大号泣だった。ソロ曲はどれも素敵で、タイトルに衝撃を受けたシゲの曲もとにかくおしゃれでセンスがいい。ああNEWSは大丈夫だ。私が思っていたよりずっと強くて、ずっとずっと前を向いてる。信じてあげられなくてゴメンね、そして何よりNEWSを残してくれてありがとう。そんな思いは4人での初めてのツアーを見てますます強くなった。チャンカパーナのイントロが流れた時点で涙が止まらず、shareでまっすーが泣き出した瞬間は思わず泣き崩れてしまった。最後までしっかり目に焼き付けたいという思いとは裏腹に涙が止まらなかった。ありがとう、本当に貴方達のことが好きでよかった。貴方達がNEWSでよかった。ただただ愛おしくて幸せだった。
私は高校生になり、NEWSはいよいよ10周年を迎えた。高校では部活動が忙しく思うように予定が立てられなかったのと例のごとく周りにNEWSファンがいないという事件に見舞われたが、高校2年生の夏、私のジャニヲタとしての人生を変える友人に出会う。たまたま話の流れでお互いジャニーズが好きだと知った。彼女はeighterだった。正直その時は亮ちゃんが選んだグループ、くらいの印象しかなかった関ジャニ∞だったが、彼らの事を調べれば調べるほど私は思いの外関ジャニ∞を知っていたという事がわかった。例えば関風ファイティングであったり、ザ•クイズショウに出ていた横山さんだったり、大奥に出ていた大倉だったり。なんだ、私思ってたよりこの人たちのこと知ってる。そして24時間テレビでまた運命とも言える出会いをする。最初はめっちゃ泣いてるなぁとか、プロアクティブやってる人とか、夜更かしで頑張ってる子という印象強く、正直カッコよさとかはあまり感じなかった。可愛い、面白い、きっと優しい人なんだろうなぁというのが私の村上信五への第一印象だった。そこからはもう速かった。ライブDVDを借り、CDを借り、彼らの事をもっと知りたいという気持ちでいっぱいだった。
そして今年、引退試合NEWSのコンサートがかぶるとかいう大事件が発生したりしたがなんとか元気にやっていた。そんな中で夏休み前、私は部活を引退してとうとう念願のアルバイトを始めた。関ジャニの夏のツアーへ参加したい気持ちもあったし、友人も誘ってくれたが、泊まりでないと難しい会場だったため初参戦は見送った。ファンクラブへは自分の稼いだお金で入ると母に宣言していた事もあり、初任給は関ジャニ∞のファンクラブの入会金となった。
このあたりからNEWS、関ジャニ∞が好きな事はもちろん、ジャニーズ事務所に対しての興味がわいてきた。これといった理由ははっきりとはわからないが、おそらく偶然見たKAT-TUNの世界一タメになる旅というTV番組の影響が大きかったと思う。なんだこの番組、イッテQをKAT-TUNがやらされてるみたいだなぁと始めはただバラエティーを見る感覚で見ていたのだが、これがめちゃくちゃ面白い。今までの大人、いかつい、ちょっと怖いといった私のKAT-TUNに対しての意識が全部ひっくり返された。特に亀梨があんなに好青年だとは思ってもいなかった。うーん、固定観念って怖い。特に理由はなくイメージだけでKAT-TUNをいかついと決めつけていた私だったが、いとも容易く覆されていった、
その後他のグループの事も知りたいと思うようになり、雑誌のインタビューを読んでみたり、ジャニーズの出ているTV番組を積極的に見たりと、このあたりからやってる事は完全にジャニヲタだった。
正直どこからジャニヲタだったかはよくわからないし、そもそもジャニヲタの定義とは。NEWSに対してはもうかれこれ10年以上ファンをやっている。これは結構自信を持ってNEWSファンだと名乗れる。しかし関ジャニ∞に関してはまだ2年たたないくらいだし、関ジャニ∞が好きですとは自信を持って言えるが、関ジャニ∞ファンです、eighterです、と自ら名乗るのってまだ結構勇気がいる。ファンの定義とは、eighterの定義とは。私は結構緊張感を持ってやっているが、実は周りは案外気にしてなかったりするかもしれないし、ファンかどうかなんて人それぞれで定義する事でもないかもしれない。ただ、好きになったからには好きな気持ち、応援する気持ちは忘れたくはないし、私が山Pから「いつの間にか」担降りしてたというような事は2度としたくないから私はファンという言葉を気軽に使わないようにしている。

最後は大分話が逸れてしまったが、私はジャニヲタに気が付いたらなっていた。
あとこれも余談だが、私は周りに「NEWSと関ジャニ∞どっちが好きなの?どっちかにしぼれば?」と言われた時、「それボディーソープとシャンプー比べてどっちが好き?って聞いてるようなもんだから。選ぶもなにも選びようがないから。」と返している。シャンプーとボディーソープのは同じ石鹸だったり、風呂場で使うものであったりと大まかに言えばかなり近い物の部類に入ると思う。でもどちらか選べと言われて選べる物でもない、どちらもないと困る。例えが微妙だが私にとってNEWSも関ジャニ∞もどちらも掛け替えのない、選びようがないし選びたくもない存在なのだ。

そんなこんなで私は今日も元気にジャニヲタを満喫している。先日は念願の関ジャニ∞のライブに初参戦してきた。そしてこれからも時間とお金と相談しながら楽しくジャニヲタを続けていきたい。